「ノスタルジー」に向けて

こんばんは。わっきーです。本名は大脇崚冴といいます。三重県鈴鹿市出身の地元を愛する田舎少年です。現在はMUVAの副代表代行みたいな位置に置かれています。軽音サークル千里山シェルターの副会長でもあります。よろしくお願いします。

さて、最近寒くなってきました。気温が10度前半や1桁台に落ち込んできましたね。それに加えて風が強い日があると地元鈴鹿市の冬を思い出します。鈴鹿市は神戸と地形が似ており(海と山が近い)、冬になると六甲おろしのように鈴鹿山脈から「鈴鹿おろし」と呼ばれる冷たく乾いた強風が吹いてきます。冬の鈴鹿はいつも風が強い。そんなこともあって地元を愛する人間としては鈴鹿の景色を思い出すわけです。  こういう地元を離れた時に地元を恋しく、あるいは懐かしく思う感覚を一般的に「ノスタルジー」と呼ぶわけですね。辞書では「ノスタルジア」の方がいいみたいです。僕の電子辞書の中にある広辞苑第六版や明鏡国語辞典第二版を開くと、 「異郷にあって離れた故郷を懐かしむ気持ち。」  「故郷を懐かしみ恋しがること。また、懐旧の念。」  「過ぎ去った昔を懐かしむ気持ち。」 というようなことが書かれてます。故郷だけじゃなくて過去の出来事について懐かしいと感じることも含まれてるんですね。

ここからは個人的な感覚と意見になります。この「ノスタルジー」という言葉、一般的にあんまり前向きな印象がないように思います。あまり確証はありませんが、その理由は音楽などの表現の中で否定的に扱われる場合が多いからではないかと考えています。例えば、「ノスタルジーに溺れている暇はない」とか。さらに、前述のとおり、ノスタルジーは過去に関する感情なので「後ろを振り返るな」「過去にすがるな」みたいな表現と結びつきやすいのだと考えられます。まぁ確かにノスタルジーを感じるのは精神的に疲れ気味のときが多いです。しかしまあ地元や過去を懐かしんだぐらいでとやかく言われるのもなんか不快なんですよ。 「知らないくせによくそんなこと言えるな」 といった具合に。

 ではとやかく言ってくる人はなにを知らないのか。それを説明するためにまずは「ノスタルジー」の重要なポイントである「懐かしむ」という思考を紐解いていきましょう。「懐かしむ」を広辞苑と明鏡国語辞典第二版で調べると 「懐かしいと思う。慕わしく思い出す。」  「過ぎ去った事柄を価値あるものとして心から慕う。懐かしく思う。」 とあります。さらに、「慕う」の意味も調べてみましょう。すると国語辞典にはなかったのですが、広辞苑に 「理想的な状態・人物などに対してそのようになりたいと願い望む。」 とあります。こういったことから、「ノスタルジー」とは、

「自分にとって大事な、重要な過去を思い出してその時から継続する憧れ・感動・尊敬・決意・希望・安堵などといった類の感情を再体験している」

ということだと言えるのではないでしょうか。もう少し簡単に言えば、以前から抱いてきた理想や過去の体験をもう一度思考して当時抱いた前向きな感覚を呼び起こすということです。とやかく言ってくる人は、まず「ノスタルジー」において思い出される過去はその個人にとって重要なものであること、次にそれを思い出したことによってその個人が前向きな感情を抱くことの二つを知らないのだと思います。

 今回は自分が日常的に抱く感情・感覚の一つである「ノスタルジー」について考えてみました。ここで書いたことは僕個人の意見でしかないので異論はもちろん認めます。ぜひ参考にしたいので違ったアイデアがある方はぜひ教えてほしいです。  それはともかく、ここで「ノスタルジー」という言葉を自分なりに再定義したかったのには訳があります。精神的にきついときに思い返して救われる思い出目標に向かって頑張りつづけるために思い返す過去の決意・憧れ・感動と「あの時の方が楽しかったから戻りたい」とか「あの頃はよかった」と言い放って自分が置かれている現実を否定・悲観することで綺麗に見える過去を同一視してほしくないという思いがあるからです。後者は現実から目を背けているのであって、現実と向き合って生きていくなかで確実に障害となります。しかし、前者は現実と向き合って初めて生じるものであり、そうやって生きていくための心の支えとなります。  僕自身、現在も自分が生きた街の風景や自分が変わった出来事や出会いを思い返すことで何度も救われています。そんな自分の内面にとっての「ノスタルジー」に向けて、あるいは自分の周りで言われている「ノスタルジー」に向けて、もっとしっかりした自分の考え・自分の言葉を投げかけたい。そう考えてこんなコラムを書いてみました。

 次回は未定ですが「食と生命」について考えようかなと思っています。

 ありがとうございました。

2017.11.26 大脇崚冴

最新記事