『MEMOries 2』

「怒る」ということについての考えを書こうと思います。

 僕は普段、無表情で生活していることが多いのですが、本当はあらゆることにものすごく怒っています。生きていれば怒りたいことは山ほどありますね。他人に努力を踏みにじられた時、自分勝手な振る舞いをされた時。自分の情けなさに怒りがこみ上げてくることだってあります。

 でも、そもそも何で「怒る」のでしょうか。相手が間違っているのを伝えるためでしょうか。違うと思います。 自分が納得できないという感情の発露こそが怒ることなのではないかと思います。威圧的な態度で相手を萎縮させ、自分の存在や主張をアピールすることにより、自分自身の感情を収める働きを含めた解決を図ろうとするものです。まとめると、「自分が納得できていないという威圧を込めた態度表明」が「怒る」なのではないかと思います。

 この定義だと、怒ることが本当に子供じみて見えてきます。自分の満足のために、相手を威圧する人のことを誰が尊敬するでしょうか。結果として自分の評価に繋がってくるわけです。また、自分の怒りに相手も納得できず怒りが生まれる、終わりのない地獄がはじまります。立場上の圧力やどちらかが折れることで丸め込む場合もありますが、表面上の解決に過ぎず奥底ではしこりが残るでしょう。怒って生まれた良いことなんて、ほとんど自己満足でしかないと思います。それでも、怒りたいことは日々山ほどあります。様々な情報が手に入る現代では、知りたくない事をも知ってしまいます。情報の速さについていけず、混乱してしまう事もあります。

 怒らないためにはどうすればよいのでしょうか。精神論としては、自分の納得できない事をなくしていくことです。あらゆることを経験し、状況を俯瞰してお互いの主張を再整理する。そして、態度表明によってではなく、自己解決を図ること。それが、大人になるということなのではないでしょうか。物理的な解決法もあると思います。感情を他で満たしておくことです。おなかいっぱい食べて、よく寝て、よく遊ぶこと。学生向けに書くとすれば、油そば大盛り食べて3限爆睡してゲーセン行け、そういうことです。精神にしろ、物理にしろ、大切なのは「余裕」だと思います。

 周りを見ても、本当に尊敬できる人は一握りしかいません。そのくらい、余裕のない人で溢れているのでしょう。それと、本当にどうしようもないな、という人がこの世の中に一定数いるのも現実だと思います。全く相手を聞き入れず、それをよしとする人です。このような柔軟性が欠落した人は、大人になるにつれ増えるように思います。生まれてから何年もかけて作りあげた信念を削りたくない、というのはもっともなことかもしれませんが、相手からはとても嫌われる諸刃の剣であることも自覚しなければなりません。(もちろん自覚しないのでどうしようもないのですが。)人はそれぞれの信念を持って動いていて、相手を攻撃したいのではなくて自己防衛したいんだ、というのは、忘れてしまいがちですが大切なことです。僕自身も、余裕を持てるような人間にはまだまだ程遠いと実感しながら、怒れる日々は続いていきます。

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