新時代に向けて

 9月30日の朝日新聞でネット報道について考えるという記事がありました。その他にもテレビや新聞、雑誌に至るまで、この『ネットと報道』について論じる議論するトピックをよく見かけます。そこに呼ばれる論者やディスカッショナーは大学の教授であったり、その他要職につく言われるところの“有識者”です。

 しかし、ここで問題に挙げたいのは現在のインターネットのアクティブユーザーである若者層の論者が非常に少ないことです。確かに、若者は『知識や経験が浅い』し『ネットに触れているが、論じるほどの見解を持っていない』かもしれません。しかし、多くのことを知らないからこそ直球的な意見を述べることが出来ますし、疑問を提示することが出来ます。テレビ番組でもたまにそのようなコンセプトの番組がありますが、所詮はテレビ局の意向とシナリオが存在します。そして何より編集するのは局側の人間であり、もし不都合な事を発言すればカットされるでしょう。新聞も同様です。

 彼らが悪いとは言いませんが、既存のマスメディアは法と倫理に縛られています。そして何より若者がマスメディアから離れていっている現状、送り手側のメインターゲットは高齢者に寄っていきます。そうなると若者からしてみれば、面白くありません。そしてまた離れる、といった感じに“開き”が生まれていきます。

 まあぶっちゃければ、いつの時代も若者はこういった場では不遇になりやすいのです。しかし、もう時代は違います。今はインターネットという新しいプラットフォームが存在します。そこに活路を見出しても良いのではないでしょうか。

 例えば安保法制の時に存在感を発揮したSEALDsは良い先鋒になるかと個人的には期待しました。しかし、彼らは政党やマスコミと結びついてしまいました。その時点で僕は彼らに対して特別な敬意も期待の念も持たなくなりましたし、むしろ早く終わらないかなとも思いました。だって彼らの後ろに続いたのが老人ばかりだったんですよ。いつしか若者の主張は形骸化し老人会のピクニックに成り果てたのです。そんな論調に期待が持てるはずがありません。

 それでも若者の主張を述べ辛い環境は変わりません。マスメディアを見限ったとして、どこに活路を見出せばいいのか。SEALDsはデモで訴えましたが、その手法がチープであり幼すぎる。発言のリスクヘッジが出来ない。ろくに調べない。問題は多々ありました。つまりは主張が「ダメだからNo」なのです。それでは心に響きません。実の無い論ほどに近代民主主義で不要なものは無いからです。

 だとすれば、どうすればよいのか。簡単です。日本全国の多種多様な意見を持つ若者たちが連帯し、新しいプラットフォームで意見を表明し、議論をすればいいのです。政治・経済・社会からスポーツ・流行・サブカルチャーまで、幅広いジャンルで論を出し、深めることが出来る場を作り出すことが出来ればよいのです。

 未来を創るのは自分たちだという自覚があれば誰が来てもいい。『情報の分析はきちんとする』『他人の意見はちゃんと聞く』これさえ出来れば、場として成立するでしょう。特定の政治や宗教、そしてメディアにも寄らず、新しい“第五の権力”として声をあげることが出来れば、メディア界のみならず、日本全体でも新しい風が吹くのではないでしょうか。

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