ぶちギレ案件を押し通してみる

 ふと思えばこの団体はミュージックビデオを制作することが目的だった気もするので、そんなMVについて書いてみようと思います。

 さて、端的に言いましょう。僕はMVが嫌いです。アレの存在理由すら分かりませんし、何故作られ続けるのかも不思議でたまりません。

 そもそも音楽は人類が長い年月をかけて作り上げた芸術の一つであり、それ自体に意味があり、それ自体に意思があるものだと考えています。楽曲の中にストーリーが展開されていたとしたら、その曲を聞くだけで、物語がやんわりと想像が出来るはずです。

 しかし、現代の音楽はご丁寧にそのストーリーを映像にしてくれます。歌詞の大意が『女の子が失恋するけど、何かをきっかけにまた頑張ろうとする姿』だとしたら、映像もその通りになります。見れば分かるじゃなくて聞けば分かるになっちゃうんですよね。逆に映像を使わないと楽曲の意味が伝わらないのであれば、音楽としてそもそも欠陥です。そんなものは世に出てきてはいけません。

 MVはそもそも音楽のマーケティング手段です。ここがまず引っ掛かります。音楽を売る(そもそも商業に寄せすぎた音楽も良くないですが)ために、楽曲で勝負せず他のメディアを使って勝負しようとするのは楽曲に自信が無いからではないでしょうか。顔で売るとか論外です。

 音楽史に残る名曲は音として残っているはずです。民謡、宗教曲、コンツェルトにオペラ・・・どれも音として楽曲が存在しています。近年で言えば『Happy Birthday to You 』が一番有名でしょうか。

 そんな音楽原理主義者な僕なので、最近の音楽は『Happy Birthday to You 』以下だと思っています。無意識でみんなが歌える歌なんて現代の音楽シーンにありますか?ジャニーズも秋元軍団もK-POPもその他諸々もみんなどんぐりです。何が良くて何が良くないとかではなく、等しくダメです。

 そういう意味では人々の表現の歴史の一つである音楽はもう死んだのかもしれません。現代音楽のほぼすべてが商業化して、資本化している現代には究極的に昇華された音楽は死に絶えているのでしょうか。資本主義原理の中で純粋な芸術が生き残るためにはどうすればよいのか。それを模索していかなければなりません。

 最後に、楽譜が読めなかったり書けなかったりするのに一人前面してる音楽屋の皆さん、せめて読めるようにはなりましょう。パソコンがあるからとかそういう次元の話じゃありません。「通訳やります!英語は全く喋れません!」と一緒です。そこはもし音楽と向き合って、それを専門に仕事をするなら最低限の礼儀として楽譜を読めるようになってください。もし無理なら潔く音楽屋はあきらめてください。それはおそらく音楽に失礼です。

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